やっちょるでー!おおいた瓦版

柞原ゆすはら八幡宮仲秋祭(浜の市)

2015年9月24日

柞原(ゆすはら)八幡宮の参道にある樹齢3千年以上の楠。
当神社のご神木です。
自然林が残る「柞原の杜」は、映画の「もののけ姫」の世界を彷彿とさせます。

西支店の行員を中心に僚店の若手行員の応援隊も加え、総勢18名の当行精鋭「御神輿担ぎ隊」。
17名しか写ってない?
カメラを撮ってる私も担ぎます。

「お下り」が近づくにつれ、多くの人々が集まってきて境内は大賑わい。
やがて子供たちの元気一杯のお囃子が柞原の杜に響き渡ります。

神様をお乗せするため、御神輿を本殿に厳かに運び入れます。

参道の石畳の階段を慎重に下っていきます。
御神輿は重たいし、コケの生えた石段は滑りやすいし、前途多難な出発となりました。

日中でも薄暗い「柞原の杜」の参道のなか、倒れたままの大木の下を潜り抜けていきます。
「柞原の杜」は、市内では数少ない広大な自然の森が残っているところです。

参道を降りたところで、三体の御神輿をトラックに乗せ替えます。人手不足のため、もう20年以上トラックでのご巡幸とのこと。時代の流れを感じますね。

御神輿の担ぎ手は、トラックの後を歩いて巡幸しますが、例年「傘持ち」を担当する支店長だけトラックに乗ることが出来ます。
「あっ、支店長、ずる~い!」

地区の多くの子供たちが御神輿の従者やお囃子方で参加し、「お旅所」までご巡幸行列を盛り上げます。

このお祭りの行列は、ごらんのとおり結構賑やかなんです。
4Kmほどの巡幸距離ですが、20年以上前までは三体ともトラックに乗せず人の手で担いで練り歩いたんだそうです。

「今年もご利益がありますように」
あちこちで多くの方々が御神輿を出迎え、お賽銭をトラックに投げ込みながら拝んでいきます。

「お旅所」手前で御神輿をトラックから降ろします。
ここからお旅所までまた担ぐこととなります。

ようやく担ぎ方も様になってきたようですが、体力が続きません。「もうだめ!、誰か替わってくれ~
あと少しですので、頑張って!

お旅所の鳥居をくぐると、露店や見物客も多くなってきました。やっとお祭り気分になって担ぎ手も元気になったようです。(少し遅いかも…)

無事に仮宮に到着し、御神輿を運び入れることが出来ました。
皆さん、お疲れ様でした。

■「柞原八幡宮仲秋祭(浜の市)」 大分市(西支店ほか)

 大分市上八幡にある「柞原(ゆすはら)八幡宮」の仲秋祭が、9月14日(月)から20日(日)までの一週間催されました。このお祭りは、別名「浜の市」と呼ばれ、本宮より御輿三体が大分市生石にある御旅所の仮殿に渡御し、放生会の神事・奉納神楽・奉納太鼓等が行われることから、終日多くの見物客や参拝者で賑わいます。

柞原八幡宮社殿。御本殿は安政年
間(19世紀中頃)に再建された
壮麗な八幡造りです。

 「柞原八幡宮」の創建は、遠く天長4年(827年)までさかのぼり、以来朝廷をはじめ領主・武家等の加護と崇敬を受け、豊後一の宮(旧国弊小社)として今日に至っています。御祭神は、「誉田別命(ホンダワケノミコト:応神天皇)をはじめ三神を奉っており、古くから「厄除・開運の神、殖産興業の守護神」として崇められています。
 当行西支店は、例年三体の御神輿のうち「一の神輿」の担ぎ手を任されており、今年は初日の「お下り」の神輿に参加し、白装束に烏帽子姿で参道を練り歩きました。

<浜の市>

 柞原八幡宮の放生会の期間中、多くの人々が集まったことから、生石の浜に盛大な「市」が立ち終日賑わうこととなりました。「市」は鎌倉初期に始まり、一時中断したものの、寛永13年(1636年)に府内藩主が再興し現在に至っています。

 当時、「浜の市」の期間中は、城下での商売は禁じられ、全て「浜の市」で取引されたため西日本でも有数な「市」となりました。

 「浜の市」の名物には、「一文人形」と藩主の座蒲団の模様を模ったとされる「志きし餅」があります。

「一文人形」は、明治の頃からお
土産として売られ、今では民芸品
として人気があります。
「志きし餅」は、藩主の座蒲団の模様を模った
とされます。白いお餅がこしあんで、よもぎ餅
がつぶあんです。どっちから食べる?