やっちょるでー!おおいた瓦版

田染荘御田植祭

2015年6月22日

「田染耶馬」と呼ばれ六郷満山文化と深いつながりのある「間戸岩屋」の展望台から見た景色。
田染荘園が一望でき、山々の新緑と田植えを終え光輝く水田がとてもきれいでした。

メイン会場となった「ほたるの館」には、水田オーナーやボランティアの学生の方々でいっぱい。
会場内では、地区の方々が地元の農産物を使った料理や特産品を販売しており、とても美味しかったです。

今日は、昨日からの雨もあがり絶好の田植え日和となりました。
「御田植祭」のある水田前は、多くのオーナーやボランティアの皆さんで大賑わい。

「御田植」の前に、荘園時代領主であった宇佐神宮の宮司さんや地元の関係者の方々により
神事が執り行われました。

「御田植祭」に参加した当行きっての「田植え請負応援隊」である高田支店の皆さん。
全員田植えをする予定でしたが、参加者が多いため、2~3名の選抜になりそうです。

田植えに先立ち、地元の方が牛と農民に扮して「しろかき」を実演。
ユーモラスな牛と農民のやりとりに開場は和やかに。

昔は、田んぼの中をこのような格好で早乙女が苗を運んだり、田を均したりしていたそうな。

いよいよ田植えの開始です。
水田オーナーやボランティアの方々が慣れない足取りで田んぼに入っていきます。

地元の小中学生も揃いの法被で参加です。
地元といっても手植えの田植えは初めての子どもにとって、裸足の水田はちょっと きもちわる~い!

修験者のほら貝の合図で田植えの開始です。
横一列にきれいに並んで植えていきます。

何列か進むと、皆さんコツを覚えたのか早くなってきました。
初めての方が大半なのに、今年は結構上手かも…

運悪く?選抜となった当行行員ですが、思いのほか手つきがいいではないですか。
「だって、ボク、去年も植えました。」

昔の衣装で植えているのは、当地を研究する大学から参加した学生の皆さんです。
荘園時代の田植えの風景にタイムスリップです。

小さな子どもたちもお父さんやお母さんに手伝ってもらいながら泥だらけで頑張ります。
「ボクもいっぱい植えたよ~!」

少々凸凹で曲がってはいますが、もう少しで植え終わりそうです。
あと一息です、皆さんがんばって!

1時間ほどでご覧のとおりきれいな田んぼの完成です。秋には美味しいお米が実ればいいですね。
皆さん、お疲れ様でした。

「田染荘御田植祭」  高田支店(豊後高田市)

 豊後高田市小崎地区において、6月14日(日)に「田染荘(たしぶのしょう)御田植祭」が開催されました。 「田染荘」は、平安時代から中世にかけて屈指の荘園領主であった宇佐神宮の重要な根本荘園の一つで、荘園遺跡としての歴史的環境 (荘園の関わる文化財、水田や集落の遺構等)が良好な状態で保持され、今に伝えられています。特に当地区は、荘園の支配拠点としてこの地から荘園開発がはじまり、 中世荘園村落の姿を色濃く残しており、ここで収穫されたお米は宇佐神宮の神々に献上された(神々が食した)とされています。
 このように当地区は、荘園時代の面影を色濃く残しつつ里山と農村の美しい景観を形成していることから、平成22年8月に「国重要文化的景観」に、 さらに平成25年5月に当地区を含む国東半島・宇佐地域が「世界農業遺産」に認定されました。
 そんな歴史的価値のある荘園景観を維持、継承しようと農村を活かした体験・交流活動に取り組んでいます。その一つとして荘園領主(水田オーナー)制度を取り入れてお り、毎年、今回の「御田植祭」や収穫祭・献穀祭等を開催しています。水田オーナーの希望者は年々増加して、今年も盛大な「御田植え」となりました。
 当行高田支店は、この水田オーナーとして支援しており、今年もほかのオーナーやボランティアの方々と一緒に楽しく田植えを体験いたしました。

懐かしの昭和の町-「豊後高田」
 豊後高田市は、「仏の里-国東」の西の玄関口にあたり、その中心商店街は、江戸時代から昭和30年代にかけて国東半島一のにぎやかな町として栄えていました。
 しかしながら、高田の町もご多聞に漏れず過疎化が進み衰退しつつありましたが、昭和30年代以前の建物が7割も現存することから、現在懐かしい昭和の町並みを再現しようという「町おこし」運動に取り組んでいます。
 町を訪れると懐かしい昔のおもちゃや駄菓子があったり、商店の軒先には一店一宝の品物が飾ってあったりして昭和のロマンを満喫することができます。
 ほかに豊後高田市には、仏の里を代表する国宝「富貴寺大堂」をはじめ「真木大堂」、「熊野麿崖仏」等もありますので、是非皆さん訪れてみてはいかがでしょうか。

 
平日の「昭和の町」商店街
休日は多くの観光客で賑わいます。
  新緑の国宝「富貴寺」